いかに「マリオストーリー」が"神ゲー"であるかについて
最近ネット配信にて久しぶりに「マリオストーリー」にふれる機会があり、小学生のときこのゲームをやっていたことを思い出し、懐かしくなった。
それと同時に、いかにこのゲームが神ゲーなのかについて語りたくなったので記事にしたいと思う。
1. 概説
まず「マリオストーリー」とはニンテンドー64で2000年8月11日発売されたアクションRPGである。
バトルは、ターン制で味方側と敵側の行動を交互に繰り返すシンプルなコマンド戦闘だ。FFやドラクエとほとんど同じ形式である。
ストーリーは、マリオシリーズ定番の"いつもどおり"ピーチ姫がクッパによってさらわれてしまい、マリオがクッパ城に乗り込んでピーチ姫を救い出す、というものだ。
この神ゲーが今までのRPGゲームの中でも革新的である理由について以下で大きく2つの焦点に絞って紹介したいと思う。
2. 物語はラスボス「クッパ」にボコボコにされるところから始まる
RPGゲームといえば戦闘である。多くのゲームでは戦闘システムのチュートリアルとして弱い敵をはじめに用意する。例えば、ドラクエなら最初の戦闘はスライムだし、FFでも弱い敵がはじめに出てきて、そこでプレイヤーは基本的な戦い方を学ぶ。
しかしマリオストーリーは違う。
はじめて戦う相手が大魔王クッパなのだ。このときマリオ側には戦闘コマンドの選択肢は一つしかなく、プレイヤーはAボタンを押し続ける以外選択肢がない。本来ラスボスであるクッパの攻撃に耐えきれるわけもなく、圧倒的な絶望感とともにマリオは敗北してしまう。いわゆる負けイベントである。
↓ マリオがクッパにボコボコにされるシーン
そしてマリオは無残に天空のクッパ城から放り出されてしまうのである。
”マリオストーリーの物語はここから始まる。”
↓ クッパ城から投げ捨てられるマリオ
この演出がとても新鮮で、物語の最後のラスボス戦においてより深みを出していると思う。
最終的にマリオは冒険の中で成長し、クッパにリベンジを果たすのだが、はじめにクッパにボコボコにされることで、昔クッパに手も足も出なかったマリオがどれだけ強くなったのかということをプレイヤーに印象付けられるのである。
多くのRPGゲームのラスボス戦では、悪の元凶を倒し、世界に平和が戻ってハッピーエンド、という流れが定番だが、マリオストーリーはさらにそれに加えて、冒険の中でどれだけマリオとプレイヤーが成長してきたのかということを2度のクッパ戦の手応えの違いを通して、実感することができるのだ。
2つ目の神ゲーたる所以について話したい。これはどういうことだ、と思うかも知れない。話は脱線するが、なぜ世界遺産を生で見ると感動するのかを考えてほしい。その理由は、その世界遺産のことを"知っているからである"。例えばエッフェル塔はテレビや本などで何度も見かけたことがあるしその名前も生きているうちに何度も聞くだろう。だからこそ、その既知感がエッフェル塔に行ったときの感動に結びつくのである。
話は脱線したが、それと同じ理屈がマリオストーリーのラストダンジョン「クッパ城」についても言えるのである。つまり、ゲームの"ある演出"によってクッパ城に乗り込んだとき、まるで世界遺産に訪れたかのような感動を呼び起こす効果を引き出しているのである。
その演出とは、ピーチ視点である。
このゲームは基本的にはプレイヤーはマリオを操作する。しかし、一つのダンジョンをクリアするという物語の節目ごとに、「その頃ピーチは‥」という演出とともに、同じ時間軸のクッパ城で監禁されているピーチ視点に切り替わり、ピーチ姫を操作してクッパ城からの脱出を試みるのである。(当然、脱出することはできない。)
このピーチ視点は短く、戦闘もないし、アクションもない。回収するフラグも少ないとてもシンプルなものだ。
しかし、このクッパ城でのピーチ視点をゲームの節目節目に取り入れることで、プレイヤーはラストダンジョン「クッパ城」を文字通り"知る"ことになる。
これは多くのRPGゲームとの相違点だろう。多くのRPGゲームのラストダンジョンはプレイヤーにとってはじめて訪れる場所になることが多いと思う。だからこそ、プレイヤーに未知の場所として衝撃を与えることができるだろう。しかし、あえてマリオストーリーではラストダンジョンを何度もピーチ視点によってプレイヤーに見せることで、マリオがクッパ城に訪れたときの感動を何倍にも膨らませているのである。
つまり、ピーチ視点によってクッパ城を見知った世界遺産のように演出することによって、マリオで訪れたときの高揚感をより大きなものにするのである。
4. まとめ
ということで、マリオストーリーが以下に神ゲーであるかについて語ってきたわけであるが、上記の2つの点で似たゲームがもう一つある。FFXである。やったことがある人ならわかると思うが、このゲームでもまずラスボス「シン」を相手にプレイヤーは絶望感を味わわされる。さらに物語上重要な場所であるザナルカンドは物語の中で何度も登場させることで"世界遺産化"している。このような演出もFFXが神ゲーと言われる理由の一つだと思う。
話は脱線したが、マリオシリーズでは、RPGで一番秘密にしておきたいラスボスという最重要ポジションがクッパだということがプレイヤーにすでに知られているという大きなハンディキャップを背負っている。にもかかわらず、これだけ演出の力で面白いゲームにできるというこのゲームの奥深さに10年以上たってはじめて気付かされたのだった。
おわり