かさやぬすの日記

後で思い出したいことを書く

『ラブライブ!サンシャイン!!』を見たので感想。

ラブライブ!サンシャイン!!』をTSUTAYAで借りて見た。この作品のファンもたくさんいるのであまり悪いことは言いたくないが、ここは触れた作品や本の感想を書くためのブログなのでここでは思ったままのことを記そうと思う。まず先に断っておきたいが、これだけたくさんのファンがいるラブライブという作品に素直に敬意を感じている。ここまで多くの人を魅了できる作品はそう容易く作れるものではない。もしこれから述べる考えに申したいことがあるときは自由に反論していただいて構わない。

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自分がアニメやゲームをやっていて萎えてしまう瞬間というのが一つある。それはゲームやアニメの制作サイドの意思や人工的なものを作品の中に感じてしまった時である。"人工的なもの"というのは説明するのが難しいが、例えば、作品のストーリーにあからさまな"起承転結"が垣間見えると冷めてしまう。なぜなら起承転結というのは「人がフィクションの物語はこうあるべき」と考えた極めて人工的なガイドラインだからだ。これはあくまでただの例だが、とにかく作品の中にに人間を感じると冷めてしまうのである。そして『ラブライブ!サンシャイン!!』も作品の中に人工的なものを感じてしまった。以下ではどこに人工的なものを感じたのか、述べる。

ラブライブは主人公が高校生活の中で一緒にスクールアイドルを目指してくれる仲間を探すところから始まる。最初のうちは部員がなかなか集まらなくて、勧誘されても「スクールアイドルにはならない」と断られるシーンもある。それでも必死に説得したり、真正面から気持ちをぶつけることでスクールアイドルの魅力に気づいてもらうことで仲間を増やしていき、ようやく9人のメンバーが揃うのである。

しかし、ここで問題なのは、視聴者は一話の時点ですでに誰がのちにメンバーになるのかをわかっていることである。OPやEDでは、まだメンバーが集まっていない一話の時点でaquorsの全メンバーがステージで踊っているシーンがある。これはネタバレということではなく、制作サイドももちろん意識してそういう風に作っているはずだ。おそらく制作サイドは「これからaquorsのメンバーがどうやって繋がっていくのか、その過程をアニメで見て楽しんで欲しい」という風に考えているのだと思う。しかし、これがどうしても自分には合わなかった。例えば、学校の生徒会長でのちにメンバーになる黒澤ダイヤは、初めスクールアイドルが嫌いと宣言した上で主人公の持ってきたアイドル部活新設のための書類を却下する。しかし自分的にこのシーンで思ったことはこうである。「でも後で仲間になるんでしょ?」。誰がメンバーになるかすでにわかってる時点で、こういう熱いやりとりが全て茶番に見えてしまうのである。「いろいろアイドルについて反対してるけど結局仲間になるじゃん」。こう一度感じてしまうと、aquorsのメンバーが仲間になるまでの全ての熱いやりとりは、アニメの製作陣の人たちが脳で考えたただの虚構に見えてしまうのである。

ここまで書くと、「他の作品ならどうなのか」ということを説明のため書きたくなるが、それは他作品と比較してラブライブを貶めているように見えてしまう可能性があるので省略する。ラブライブ単体について思ったことは以上である。